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レポート

「被爆電車で聴く すずさんの嫁入り道中」レポート

2016.05.20

皆さま、初めまして。制作宣伝担当の岩澤です。昨年の制作支援メンバーズミーティング以来、二度目の広島入りです。今回のイベントに参加するために前日入りし、呉で呉冷麺を堪能してきました。さっぱりしていて美味しかったです。

 

5月8日(日)、広島・江波で開催された、「被爆電車で聴く すずさんの嫁入り道中」に参加してきました!これは、広島や呉で『この世界の片隅に』の支援活動を行ってくださっている《「この世界の片隅に」を支援する呉・広島の会》が主催する、すずさんが暮らした江波を探検するイベントです。被爆電車の中でこうの先生のお話を聞き、江波を散策してすずさんとほぼ同年代の大岡貴美枝さん(94歳)のお話を伺いました。

 

※被爆電車…71年前に被爆した路面電車。昭和20年当時の塗装が復元されています。

 

 

午前の部は、江波二本松集会所を会場に、大岡貴美枝さんのお話からスタートです。聞き手はヒロシマ・フィールドワーク実行委員会の中川幹朗さん。

大岡さんはすずさんと同じく江波で生まれ育った方です。江波は半農半漁の町で、気性が激しく声が荒い町と言われていたそうです。江波巻きは座ってご飯を食べる時間がないから、タオルで巻いて懐に入れて沖で食べていたとのこと。海苔をつくる道具の使い方の実演もしてくださいました。

 

1(左から)聞き手の中川さんと、すずさんとほぼ同年代の大岡さん

 

戦時中の様子にも触れ、現在は路面電車の車庫になっている射的場では、原爆後に多くの遺体が運ばれ、焼かれていたそうです。

他にも、広島に伝わる「おさん狐」の話や、屋号の話、戦後ファッションショーに出演した話など、数々の思い出を語ってくださいました。中でも衝撃だったのは、「カブトガニを捕まえて食べた」という話。「捕まえて家に帰ったら、父親にもう採っちゃだめだよ、と諭されました。食べてみたら子持のカブトガニで美味しかった」と語ります。ちなみに、その話を聞いた片渕監督が、劇中にカブトガニを登場させるそうです(制作宣伝チームも初耳の情報です!)。

 

20分という短い時間でしたが、とても濃密なお話を聞くことができました。

 

2会場には海苔をすく道具が置かれていました。

 

続いては江波散策です。解説は、江波を伝える会の中川巧さん。すずさんが過ごした江波の町を歩きながら、当時の雰囲気を感じるスポットを巡ります。

 

3江波散策の様子1

細い路地も歩きます。

 

4江波散策の様子2

こうの先生の後姿が見えますね。

 

5江波散策の様子3

車庫の後方には、皿山が拡がります。射的場があった頃は、皿山に向かって撃っていたそうですよ。

 

30分程散策したあと、いよいよ被爆電車に乗り込みます!

 

6被爆電車とこうの先生

 

被爆電車内では、こうの先生と、「もう一つの語り部 被爆電車物語」の著者・加藤一孝先生によるトークが開催されました。

 

7(左から)加藤先生、こうの先生

 

電車の使用は贅沢だと言われていたことや、江波は船が発達していたため、当時の江波には電停がなく、原作では嫁入り時に舟入本町まで歩いたことなどが語られました。また、昔は呉にも路面電車があり、広島より早く出来上がっていたそうです。広電は広軌で、新幹線と同じ幅なのだそう。

 

8十日市交差点には、操車塔が残っています。

 

9電車内から原爆ドームが見えます。

 

当時活躍していた電車に揺られ、こうの先生と加藤先生の貴重なお話を聞くという贅沢な時間でした。あっという間に広島駅に到着です。名残惜しいですが、午前の部はここで終了です。

入れ違いに午後の部の参加者が電車に乗り込みます。午後の部は広島駅からスタートし、江波から集会所までの道のりを歩いて、最後に大岡さんのお話を聞きました。

「この世界の片隅に」を支援する呉・広島の会の皆様、ありがとうございました!

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