《こうの史代「この世界の片隅に」原画展》 「編集者’s ギャラリートークナイト」イベントレポート
2017.06.01
みなさま、こんにちは。
制作宣伝の岩澤です。
大盛況のうちに《こうの史代「この世界の片隅に」原画展》が5月30日(火)に終了いたしました。
沢山のご来場ありがとうございました!
始まる前は真っ白だったこの大型バナーも…
こんなにも多くのコメントで埋め尽くされました!ありがとうございます!
原画展の様子はこちらから
最終日前日には、双葉社のこうの先生担当編集によるトークイベントが開催されました。
解説するのは「この世界の片隅に」連載当時の担当編集をされていた染谷(そめや)さんと、現・こうの先生の担当を務める渋谷(しぶたに)さんのふたり。
抽選で選ばれた30名のお客様と一緒に展示を回りながら、原画に込められた想いや当時の裏話などを語りました。
★カラー扉
渋谷 こうのさんは「この世界の片隅に」のカラー絵に関しては、赤・青・黄色の3色だけ使われたそうです。絵によって絵具の色は違うみたいですが、当時の質感・色彩というか、昔の印刷物のような風合いを出したかったということで3色だけを使って描かれていました。
※カラー絵は、1枚だけ例外があるそうです(単行本にはモノクロで掲載されています)
染谷 カバーの印刷自体も3色ではあるんですが、蛍光色などが使われています。通常、印刷するときは4色(CMYK/シアン・マゼンダ・イエロー・ブラック)の掛け合わせになりますが、原画の3色そのものを活かすために、特色インクを使って印刷所とデザイナーが相談しながらやりました。
★冬の記憶
染谷 打ち合せでこうのさんの初期構想を聞かされた時に驚いたのが、「人さらいで始まって人さらいで終わる」ということでした。
バケモノが現れて、周作とすずをさらい、最後にエンディングで広島に行ったすずと周作が、女の子を拾って帰る。その円環を最初の構想で聞かされて、相変わらずすごい発想をするなと驚いたのをよく覚えています。
※読み切り短編一作目の「冬の記憶」は、連載した「漫画アクション」ではなく別の雑誌に掲載されたため、「冬の記憶」だけ染谷さんではなく別の方が担当されていたそうです。
★波のうさぎ
渋谷 「波のうさぎ」の最初の冒頭の1・2・3ページと「この世界の片隅に」連載第1回の1・2・3ページは全く同じコマ割りで描かれています。これは、この間の5年と数か月くらい、すずが子どもから大人になるんですが、大人になってもすずが人間として変わってないことを伝えたいために同じコマ割りで描いたということです。
染谷 こうのさんは内緒で仕掛けてくる人なので、後で気付いて言うと、ニヤッと笑ってよくぞわかったという感じでいるんです。僕自身も気付かない面は多々ありました。この辺りはすごくいい意味で遊んでるなと感じます。すずが絵を描くのが大好きなのが物語の本質なので。序盤で本領発揮してくれたので、この物語はすごいことになると原稿を受けながら期待していた記憶があります。
ここでお客様から「作品タイトルではどんな略称を使われたのか?」と質問を受け、流れは前作「夕凪の街 桜の国」から「この世界の片隅に」のタイトルの話に。
染谷 前作が「夕凪の街 桜の国」。「街」、「国」と来たから今度は「世界」だ、というのは決めていたと言ってました。
色々な文献を漁っていくうちに「この世界の片隅で」という資料があり、これは非常に貴重な、彼女にとっては大事な資料になった作品です。一字違いだけどそこにインスパイアされた要素があります。
とタイトル秘話が明かされます。
★「第5回 昭和19年3月」もんぺの作り方について
染谷 本来の断ち切りでは、直接ハサミで裁つのは邪道。ちゃんと糸を解いてから直す作業をします。でもこうのさんは自己流でそれでやった。実際これでもちゃんと作れます。
渋谷 当時こんな作り方をした人はいないだろうと(こうのさんは)言ってましたね。
染谷 この間久々に片渕監督とお会いできて、ずっと前から聞きたかったことがやっと聞けました。そもそも何でこの作品に目をつけたのか、具体的に「これをやりたい」と思った瞬間のシーンはどれかということです。
まず最初に、生活である裁縫のシーンとお料理のシーン。それから戦艦大和が現れるシーンだと聞くことができました。
★連載の日付について
染谷 こうのさんは、本来は日常を描く漫画家でありたいと思っていらっしゃる。それが「夕凪~」で、自分が原爆漫画家だというレッテルを貼られてしまった。それが嫌でそこから抜け出すために「この世界~」に挑んだ。広島だけがスペシャルなことじゃない。日本各地で空襲や戦時の災害があったんだ、ということで広島以外を描きたいスタートラインがあり、それで「この世界の片隅に」がありました。
呉を拠点にした、原爆ではない広島の外の戦争を描き、そこで私は全部描き切るんだと強い決意があったんですね。
染谷 昭和19年だったら平成19年のお話にしよう、というのは随分以前から考えていたと思います。昭和19年20年をベースにした物語なので、タイミング的にも平成19年20年、しかも月も揃えたいと。2月だったら2月、3月だったら3月、そうして何月になると呉に空襲が来るという。それを全部年表に作った上でやりたいというのが初期の段階で聞かされて。何とものすごいことを考えるんだと思いましたね。
★第33回以降
物語が後半に進むにつれ、原画に変化が。直筆の絵ではなく、コピーした絵を貼りつけた箇所が登場します。
染谷 このマンガの全てにわたって、鉛筆描きをコピーした原稿は、すずの妄想。実際になかった世界を鉛筆で描いています。サギの飛び立つシーンも鉛筆です。それはすずが見ている幻想だという位置づけなんですね。でもこれも言ってくれないんですよ。
「第35回」から背景に歪みが生じます。
渋谷 背景を左手で描かれた絵が続きます。最終回までそうなんですが…こうのさん、どんどんうまくなっちゃったんですよね。
そして、「第37回」の原爆描写のすごさ、「第38回」の扉絵に描かれた秘密など、お客様から「ああ~」と声が漏れてしまうような解説が続いていきます。
(第38回の絵は、全く気が付いておりませんでした…広島から飛んできたアレが描かれていたんですね)
濃厚な時間もあっという間に過ぎ、「最終回しあはせの手紙」の最終ページのカラー原画で解説は終了です。
最後に、染谷さんの「この作品は長く愛されて欲しいですから、何遍も何遍も読んでいただいて、その気付きを自ら発見すると、本当に「おおっ」という喜びがありますので、気が向いた時にいつでも読んでいただければと思います」という挨拶で締めくくられました。
密度の濃いイベントをありがとうございました…染谷さん、渋谷さん、お疲れ様でした!タワーレコード渋谷店での《こうの史代「この世界の片隅に」原画展》はこれにて終了です。
初めてこうの先生の原画を目の前にし、緻密な資料とあらゆる手法を盛り込んだ原画は身が震えるほど感動いたしました。口紅で描かれた原画はやっぱり興奮しますね!
こうの先生の情熱があり、こうの先生を支える編集の方の情熱があり、、、そして、この原作を映画化しようとした片渕監督の情熱が加わり、コトリンゴさん、のんさんなど、色々な方の情熱がどんどん紡がれていき、この情熱の糸を、映画をご覧になった方が紡いで織って、より多くの方に届けてくださったんだなと、展示を観ながら映画制作中からこれまでのことを色々と思い返してしまいました。
原画展は今後、どこか皆さまの住む街で開かれる可能性もありそうです。
映画『この世界の片隅に』は上映がまだまだ続いております。
映画も原作も何度も観て読んで、新しい発見を楽しんでください。