企画始動:運命の出会い
2010年8〜9月
©こうの史代/双葉社
片渕須直監督が『この世界の片隅に』のアニメ化を熱望している。そう知ったプロデューサー丸山正雄は原作の双葉社に確認するが、映像化は既に進んでいるという。だがそれは実写の話であり、アニメ化に関しては切り分けて考えられる余地があるという認識を示したのだ。片渕監督はアニメ化への思いを原作者・こうの史代さんへの手紙にしたため、編集者に託した。
こうの史代さんは片渕監督の名前を、監督プロフィールに記されたTVアニメ『名犬ラッシー』を見て思い出した。「大きな事件は起こらず、飼い主ジョンとラッシーが遊ぶ日々が続く。自分もいつかこんな物語を描きたい」と思った作品だった。まさにその作品の監督からの手紙にこうのさんは驚く。
片渕監督がアニメ化を熱望した作品を生んだこうのさんは、片渕監督がかつて作った作品を自分の道標の一つとして感じていた。この企画は「運命」。そう言葉にしたのは、こうのさんだった。
調べれば特定できる。特定できればさらに調べられる。
2010年8月
準備を始めた片渕監督は、舞台となる時代、場所について、文献資料と地図を使い徹底的に調べ始めた。史実とリンクしている個所は日時が特定できる。例えば呉が最初の空襲を受けたのは昭和20年3月19日だ。片渕監督はすずさんと周作が段々畑から戦艦大和の呉入港を見る、という場面の日付を昭和19年4月17日と特定する。戦艦大和の行動記録から、大和がいつどこで何をしていたのかを調べ、昭和19年4月に呉に入港してくるのは4月17日だけであることを確認、日付を特定したのだ。日付が特定できれば天候や気候も調べられる。その日の呉の天候は高曇り。気温は夕方でも比較的高く、うららかな日であった。青空ではないが空気が澄んで遠くまで見渡せていたはずだという。実際の昭和19年4月17日が描き出され、その中にすずさんも周作も生きている。
調べ、訪れ、尋ねて描き出した昭和8年の中島本町
2013年7月
文献を調べた後は、現地にも幾度となく赴き現在の風景を確認しながら、リアリティある当時の姿を追求していく。中でも冒頭に登場する中島本町には時間をかけた。この街は爆心地に近く、現在は平和記念公園になっている。その一角にある「レストハウス」は原爆に耐え残った建物であった。画面に登場する昭和8年ではその建物は「大正屋呉服店」であった。大正屋呉服店を正面入り口側から描こうとすると、路地を挟んで手前の「大津屋モスリン堂」という店を描かねばならない。ところがこの店の写真が全く手に入らない。片渕監督は広島に住む方の協力を得て、当時中島本町に住んでいた方々から直接を話をうかがった。建物の素材、色、もたれかかった金属の手すりの感触。貴重な記憶を頼りに片渕監督は何度も何度も画を描き直し、記憶の中だけに生きている中島本町の姿を浮かび上がらせた。この場面、数多くの人物が画面に現れるが、そのうち何人かは、お話を聞いた方々の記憶に残る彼らのご家族の姿であるという。
別企画で初タッグ:NHK『花は咲く』
2012年10月〜11月
完全な製作決定に至らぬまま準備を続ける片渕監督にプロデューサーの丸山が、2012年10月、短編映像の企画を持ち込む。NHKの東日本大震災復興支援ソング『花は咲く』のアニメ版映像の制作だ。11月、片渕監督はこうの史代さんに声を掛ける。マンガ雑誌に『日の鳥』を連載しているこうのさんには、東北を応援したいという強い思いがあったからだ。短編映像の核になるアイディアを、と片渕監督は依頼したが、こうのさんはマンガのネームのような紙を8枚、打合せに持ち込んだという。それを基に片渕監督が練り、こうのさんとも相談し映像の絵コンテが作成された。歌とアレンジも映像に合うように、たどたどしい感じの歌い手が選ばれ、新たに録音が行われた。完成作品はこうのさんの優しいタッチと片渕監督の細やかな演出、そして歌声が見事にマッチ。しみじみと胸に沁みる映像詩が誕生した。
クラウドファンディングの反響
2015年3月〜5月
プロデューサー真木太郎率いるジェンコが製作統括として参加することになった。真木はかねてから着目していたクラウドファンディングという手法を取り入れることを決断する。目標金額2,000万円。出資企業を募るためのパイロットフィルム制作費用を集めるのがその目的だ。2015年3月9日午前11時から開始されたこのクラウドファンディングは、開始2時間で支援者120人、支援金200万円超を得て好スタートを切る。開始から8日と15時間余りで当初目標2,000万円を達成。5月末の終了時には日本全国47都道府県から3,374人、39,121,920円の支援金が集まった。当時国内のクラウドファンディング映画ジャンルとして最多人数、最高額の記録を樹立。「この映画が見たい」という観客の声が形となったのだ。そしてこの反響を見て映画館主が反応。そこから出資企業が集まり始めることになる。
応援の声、拡がる
2015年6月〜
2015年6月3日。クラウドファンディングの成功を受けて、映画『この世界の片隅に』の製作が正式に決定。ネットニュースなどで広く報じられた。ちょうど同じ日、「『この世界の片隅に』を支援する呉・広島の会」が発足される。この会は、片渕監督が広島、呉での実踏調査を重ねる中で出会った方々が本作を応援するために立ちあげたものだ。7月には、「制作支援メンバーズミーティング」を東京、広島、大阪で実施。完成したばかりのパイロットフィルムが披露された。どの会場にも、クラウドファンディングに参加された方が多く集まった。8月にはテアトル新宿、ユーロスペース他の劇場とインターネット上で初期の予告篇である「特報」が公開され、同時にポスター、チラシも展開された。「特報」はネットで大きな反響を呼び、その反響がまたニュースになり拡がっていった。2016年7月23日からは呉市立美術館で「マンガとアニメで見る こうの史代『この世界の片隅に』展」が開催され、広島県内のみならず日本全国から来場者が訪れているという。応援する声は着実に拡がっている。
コトリンゴさんの「悲しくてやりきれない」
2010年9月
『マイマイ新子と千年の魔法』で片渕監督と出会ったコトリンゴさんは、2010年9月、ご自身のアルバム「picnic album 1」のサンプル版を片渕監督に届けた。片渕監督は、収録されていた「悲しくてやりきれない」(原曲:ザ・フォーク・クルセダーズ)が強く印象に残り、その後ずっと聴きながら制作作業をしていたという。片渕監督の中で、『この世界の片隅に』とコトリンゴさんの「悲しくてやりきれない」は密接不離になっていった。こうして、まずパイロットフィルム、特報にこの曲が使用された。そして、映画全体の音楽もコトリンゴさんの手に委ねられることになる。料理シーンの音楽では菜箸や、すりこぎも楽器として使うなど作品世界に合わせた工夫も凝らしたそうだ。また「悲しくてやりきれない」も映画本篇用に新たにアレンジしている。
すずさんたちが息づきはじめる
2016年6月〜8月
アフレコが始まったのは2016年6月下旬だ。初日は周作役・細谷佳正さん、円太郎役・牛山茂さんらが参加した。7月に入りアフレコが進む。すみ役・潘めぐみさん、晴美役・稲葉菜月さん、哲役・小野大輔さんなどが次々に登場し、キャラクターたちが息をしはじめた。サン役・新谷真弓さんは、広島出身ということもあり事前にすべての役のガイド音声を収録。現場でもキャストたちに尋ねられ、正しいイントネーションを指導することになった。7月下旬頃すず役に決定した、のんさんのアフレコがはじまる。数回に分けて収録が行われた。のんさんはすずさんのセリフについて自分自身でも研究を重ねて現場に臨んでいた。疑問に思う部分はどういう心情なのかを監督に確認し、一歩一歩前に進んでいった。