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映画「この世界の片隅に」公式サイト

ニュース

2015.05.26

日本大学芸術学部映画学科教授・奥野邦利さんから、応援メッセージをいただきました!

『この世界の片隅に』の制作を応援していただいている皆様からの応援コメント第6弾は、日本大学芸術学部映画学科教授・奥野邦利さんです!

 

奥野邦利さん応援コメント

【片渕須直と『この世界の片隅に』】

 『この世界の片隅に』をアニメーションにしたいのだと、片渕須直監督から聞いたのは『マイマイ新子と千年の魔法』の公開後すぐだったと記憶している。こうの史代によって描かれた原作の舞台は広島。僕は広島には縁がなくて、観光として原爆ドームや広島平和記念資料館を訪ねたことが精々だった。

  でも、広島出身の詩人、原民喜のことが学生時代から好きだったし、父が長崎島原の生まれで戦争や原爆について人並みに思うことはあった。年を重ねると、反戦とはなにか、反核とはなにか、子供のころには判っていたことが、簡単でないことを知ることになる。だから余計に、原民喜のことばの中に市井の人の眼差しを、その空の青さを怖いとも、美しいとも感じることが尊かった。こうの史代の原作も美しく、同時に厳しかった。

  片渕監督は日藝の先輩で、今は同僚の教師でもある。実際、恐ろしく忙しいであろうアニメーション監督が、どうして学生のためにたくさんの時間を割いてくれるのか不思議に思うこともある。ただ、分かることが一つだけあって、アニメーションの世界を空想の世界から現実の世界に押し広げようとする志。これを母校の後輩たちに伝えようとしているのだろう。そしてそれを裏付けるように、片渕監督のハードリサーチャーとしての横顔は有名だ。

  2000年を前後して加速度的に進むデジタル化は、映像を取り巻く環境を劇的に変化させた。ピクセル単位で処理されるイメージは、実写とアニメーションとの境界をいよいよ不透明なものにしている。ハリウッドの大作映画が大きな資金で新しい現実を作り出すとき、アニメーションは現実とどう向き合うのか。あの宮崎駿の最後の作品が『風立ちぬ』であったことと無縁とは思えない。

  現実について、話が飛躍したとすれば申し訳ないけれど、東日本大震災を経験した我々は、この現実を前に、自分の人生と他人の人生を重ね合わせたのではなかったか。自分の益と併せて他人の益について、真剣に考えたのではなかったか。あれから4年が過ぎたけれども、今一度、他者に対して、国家に対して、我々自身に対して目を向けねばならないのではないか。死した人に語りかける言葉を失いつつあるようで、僕は今それが怖い。

  戦後70年であろうがなかろうが、我々は考えねばならない。戦争によって市井の人がどう傷ついたかを、何を失ったのかを、生き残った人間は何をせねばならないのかを。片渕須直は真剣に取り組んでいる。こうの史代の『この世界の片隅に』を片渕須直のアニメーション映画として観たい。今こそ日本人に、できるならば世界の人々に届けてほしい。

 

■奥野邦利

日本大学芸術学部映画学科教授。専門はメディアアート。東京映像旅団を拠点に映像作家としても活動している。日芸映画学科非常勤講師としての片渕監督を長年に渡ってバックアップしている。

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